最多安打3回、最多得点2回、トリプルスリー、通算2000本安打を達成するなど、特に現役時代前半は広島のリードオフマンとして大いに活躍した。当時は176cm、75kgと体格に恵まれてはいなかったが、それまで主にスラッガータイプの選手が達成していたトリプルスリーを成し遂げた時には、地道なトレーニングによる筋力強化を高く評価されている。
プロで実働10年間だった遊撃手での通算打率.293は1000打席以上ではセントラル・リーグ最高記録(2004年当時)であり、史上屈指の強打の遊撃手だった。
1995年に記録したシーズンOPS.940は、2002年の松井稼頭央に次いで遊撃手歴代2位、セントラル・リーグ遊撃手最高記録である。思い切りの良い打撃を持ち味とし、賛否両論はあったものの、初球から積極的にストライクを打ちに行った。
俊足を誇る選手として名を馳せた。大学時代は東都大学野球リーグでの最多盗塁記録を残し、4年の春には完全盗塁を達成するなど、プロ入り前から走塁技術は高かった。4年の時にはベース1周で13秒8の好タイムを残している[76]。プロ入り後も1989年には4月12日に初盗塁を記録し、5月末までに盗塁企図10に対して成功8と早くから技術が通用している。
グラブについてはプロ入り2年目の年から同じグラブを7年間も使うなどという強いこだわりを持ち、同じタイプのグラブを使った後輩には井生崇光や甲斐雅人、石橋尚登などがいる。
また、野村のグラブをベースにしたグラブを江藤と東出が使用し、木村拓也も野村のグラブを参考にしていた。