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1980年代【2】

リチャード・ランス(Richard Anthony Lancelotti)

アメリカ出身 1956年7月5日 左投左打 188cm 87kg
経歴:グラスボロ州大-パドレス-ジャイアンツ-広島
外野手 背番号45
評価内容:山本浩二引退を受けて長距離砲として獲得したのがランスである。いわゆる「三振かホームランか」という典型的なバッターで 絶好調か絶不調かという側面もあり、とてもインパクトのあるバッターだった。入団1年目、史上初の規定打席到達選手の中で最低打率の.218で 本塁打王(39本)に輝き、おまけに三振王(114個)まで獲得した。そして当時球団新記録となる6試合連続本塁打をマークした。 ヒットが88本で本塁打が39本と約2.2本に1本が本塁打という数字にも驚かされた。しかし2年目はコンスタントなバッティングを求められたが、 不振もあってベンチを温める場面が多くなりシーズン途中で解雇された。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
1987 広島 121 470 403 67 88 9 1 39 216 83 0 2 0 3 60 4 114 10 .218
1988 広島 79 305 264 33 50 7 3 19 120 50 1 1 0 7 32 2 58 2 .189
通算 2年 200 775 667 100 138 16 4 58 336 133 1 3 0 10 92 6 172 12 .207

タイトル・記録

・本塁打王 1回(1987年)
・6試合連続本塁打(1987.6.9~6.16)

ランディ・ジョンソン(Randy Johnson)

アメリカ出身 1956年6月10日 右投右打 183cm 84kg
経歴:サンノゼ州大-ブレーブス-広島
内野手 背番号42
評価内容:長打力こそないがどこでも守れるオールラウンドプレーヤーで 1年目打率.319を残すが、2年目足首を故障し、ポジションを奪われ2軍暮らしが続きシーズン途中に自由契約となった。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
1987 広島 101 245 216 28 69 16 0 6 103 26 0 0 5 2 16 6 19 7 .319
1988 広島 41 161 144 16 41 6 2 3 60 12 0 0 3 1 12 1 11 5 .285
通算 2年 142 406 360 44 110 22 2 9 163 38 0 0 8 3 28 7 30 12 .306

タイトル・記録

なし

ウェイド・ロードン(Wade Rowdon)

アメリカ出身 1960年9月7日 右投右打 189cm 81kg
経歴:ステットソン大-レッズ-カブス-オリオールズ-広島
内野手 背番号44
評価内容:日本ではその風貌から「銀行員」と呼ばれた。入団1年目は三拍子そろった活躍で、打率.300、本塁打22、打点79の成績をあげ、 守備も上手くゴールデングラブ賞も獲得した。しかし2年目は突如打撃不振に陥り26試合の出場に留まり、2軍生活に明け暮れシーズン終了後退団した。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
1989 広島 123 529 473 60 142 20 1 22 230 79 8 5 4 4 44 4 65 10 .300
1990 広島 26 101 87 7 20 7 0 2 33 15 0 2 0 2 12 0 15 3 .230
通算 2年 149 630 560 67 162 27 1 24 263 94 8 7 4 6 56 4 80 13 .289

タイトル・記録

・ゴールデングラブ賞 1回(1989年:三塁手)

ロデリック・アレン(Roderick Allen)

アメリカ出身 1959年10月5日 右投右打 189cm 92kg
経歴:米国カルフォルニア州ロサンゼルス出身。サンタモニカ高-マリナーズ-タイガース-インディアンス-広島
内野手 背番号49('89~'90)、00('91)
評価内容:1年目は不本意な成績に終わったが、2年目は打率.313、本塁打25、打点61と活躍し、史上14人目となる4打席連続本塁打を記録したり、 1試合に代打満塁打とサヨナラ本塁打を打つなど活躍を見せた。しかし3年目はチームがリーグ優勝を果たしたが再び不振に陥り、退団が決定的に なった。そして最後の日本シリーズでは4番を任されシリーズ初打席初本塁打を含む2本塁打と活躍し自らの花道を飾った。また、死球に怒り大洋の 大門を外野まで追い回すシーンは今でも珍プレーでよく見かける。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
1989 広島 80 279 247 23 74 12 1 11 121 39 3 1 0 3 25 4 47 9 .300
1990 広島 98 367 326 56 102 12 1 25 191 61 2 2 1 2 32 6 60 10 .313
1991 広島 68 226 206 23 48 10 0 9 85 33 1 1 0 1 19 0 44 2 .233
通算 3年 246 872 779 102 224 34 2 45 397 133 6 4 1 6 76 10 151 21 .288

タイトル・記録

・最多連続打数本塁打 4(1990.5.10~5.12)〔日本記録〕
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達川光男珍プレー集