2000年代【4】|助っ人外国人の歴史|赤ヘル魂はカープファンによるカープファンのための応援サイトです。

トップページ » 助っ人外国人の歴史 » 2000年代【4】

2000年代【4】

マーク・ワトソン(Mark Watson)

アメリカ出身 1974年1月23日 左投左打 191cm 109kg
経歴:ジョージア大学-ブリュワーズ-ドジャース-インディアンズ-マリナーズ-レッズ-広島
投手 背番号58
評価内容:ブロック・デイビーの離脱を受けてシーズン途中に加入した。制球力がよく10試合連続無四球の好投を見せたが来季の契約はなく 1年で退団となった。

年度 所属 試合 セーブ 完投 完封 無四球 打者 イニング 被安打 被本塁 与四球 与死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
2004 広島 19 0 2 0 0 0 0 93 21.2 18 5 8 0 20 2 1 11 9 3.74
通算 1年 19 0 2 0 0 0 0 93 21.2 18 5 8 0 20 2 1 11 9 3.74

タイトル・記録

なし

グレゴリー・マーク・ラロッカ(Gregory Mark "Greg" LaRocca)

アメリカ出身 1972年11月10日 右投右打 181cm 81kg
経歴:マサチューセッツ大-インディアンス-広島-ヤクルト-オリックス
内野手 背番号43(2004~2005)、29(2006)、30(2007~2008)
評価内容:内野の全ての守備がこなせるユーティリティプレーヤーである。年俸が低かった為開幕前はあまり注目されていなかったが、開幕すると 高打率を維持し前半戦だけで26本塁打をマークする。最終的に40本塁打、101打点、打率.328と3部門すべてリーグ5位以内に入る好成績だった。 変化球も苦にしない為三振も少なく、最高出塁率のタイトルを獲得した。2005年は守備中に指を骨折するなど度重なる故障に泣き、80試合の出場に留まった。 しかし18本塁打、56打点、打率.303を残したがシーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後ヤクルト、オリックスと渡り歩き、2008年は右肘側副靱帯の 再建手術を行い、26試合の出場に留まった。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
2004 広島 122 513 436 89 143 28 2 40 295 101 11 7 0 2 52 23 66 12 .328
2005 広島 80 296 267 40 81 12 1 18 149 56 0 0 0 1 18 10 30 8 .303
2006 ヤクルト 103 436 379 58 108 14 0 18 176 63 2 1 0 3 34 20 52 6 .285
2007 オリ 136 576 503 79 144 29 0 27 254 79 2 1 0 6 39 28 74 11 .286
2008 オリ 26 105 89 12 15 4 0 1 22 9 0 0 0 1 8 7 14 3 .169
通算 5年 467 1926 1674 278 491 87 3 104 896 308 15 9 0 13 151 88 236 40 .293

タイトル・記録

・最高出塁率 1回(2004年/.425)
・ベストナイン 2回 [2004年(二塁手:中日・荒木雅博と同時受賞)、2007年(三塁手)]
・シーズン最多死球 1回(2007年/28個)

ジョン・ベイル(John Bale)

アメリカ出身 1974年5月22日 左投左打 193cm 100kg
経歴:ミシシッピ-大-ブルージェイズ-オリオールズ-メッツ(3A)-レッズ-広島-ロイヤルズ-広島
投手 背番号49(2004-2006)、94(2010)
評価内容:上手と横手を投げ分ける変則投法で先発ローテーションを支えた。左投手の外国人の中で初めての白星をあげ、この年は11勝をあげた。 奪三振率の良さから翌年は抑えを任せられた。2006年は開幕当初は抑えだったが、雨のマウンドで足を滑らせ左足内転筋を負傷し、 抑えは永川勝浩に交代した。復帰後先発に戻り、それなりの結果を残したが、長期離脱と高年俸がネックとなりシーズン終了後戦力外通告を受けた。
2010年2月初旬にベイルの妻からカープ球団に売り込みがあり、球団はベイルの左打者に対する高い奪三振率を評価しカープへの復帰が決まった。年俸は1000万。シーズン中は主に中継ぎで投げ、時には抑えもしたが、安定感に欠け後半戦は2軍暮らしとなり11/6戦力外となった。

年度 所属 試合 セーブ 完投 完封 無四球 打者 イニング 被安打 被本塁 与四球 与死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
2004 広島 25 11 10 0 1 0 1 702 160.1 165 16 62 8 173 4 0 86 75 4.21
2005 広島 51 2 1 24 0 0 0 227 53.2 44 9 16 5 72 1 0 24 19 3.19
2006 広島 30 1 2 6 0 0 0 183 43 45 5 11 0 46 1 0 16 14 2.93
2010 広島 30 0 3 1 0 0 0 124 26.2 29 3 15 3 21 0 0 23 21 7.09
通算 4年 136 14 16 31 1 0 1 1236 283.2 283 33 104 16 312 6 0 149 129 4.09

タイトル・記録

なし

ファン・フェリシアーノ(Juan Feliciano)

ドミニカ出身 1980年4月6日 右投右打 182cm 87kg
経歴:サンチェス高-レッドソックス・アカデミー-カープアカデミー-広島
投手 背番号98
評価内容:2004年カープアカデミーを経て広島に入団。直球が持ち味でチェコの再来と期待されたが、成績を残せなかった。 毎年チャンスを与えられているが生かしきれなかった。防御率の割りに敗戦投手になることが少なかった。

年度 所属 試合 セーブ 完投 完封 無四球 打者 イニング 被安打 被本塁 与四球 与死球 奪三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
2004 広島 3 0 1 0 0 0 0 55 11.1 14 7 10 0 10 20 20 15.88
2005 広島 5 0 2 0 0 0 0 60 11.2 19 1 9 0 11 2 0 12 9 6.94
2006 広島 12 0 1 0 0 0 0 168 35.1 50 8 12 5 11 0 0 30 29 7.39
通算 3年 20 0 4 0 0 0 0 283 58.1 81 16 31 5 32 62 58 8.99

タイトル・記録

なし

エスターリン・フランコ(Esterlin Franco)

ドミニカ出身 1980年11月25日 右投右打 185cm 85kg
経歴:ラ・エスタンシア高-ヒューストン・アストロズアカデミー-中国棒球リーグ・広東レオパーズ-カープアカデミー-広島
内野手 背番号96
評価内容:シーズン中盤の8月から1軍にあがるが、走塁・守備がいまいちなこともあり、シーズン終了後自由契約となった。

年度 所属 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率
2005 広島 15 48 48 0 11 2 0 0 13 0 0 0 0 0 0 0 13 3 .229
通算 1年 15 48 48 0 11 2 0 0 13 0 0 0 0 0 0 0 13 3 .229

タイトル・記録

なし
123・4・567

達川光男珍プレー集