1980年代後半
1985年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
2 |
130 |
68 |
57 |
5 |
0.544 |
7.0 |
古葉 竹識 |
サウスポーの高木宣宏がブレイクしオールスター前までに9勝を挙げるも後半不調に陥る。
2年目の川端順が新人王。高橋慶彦が5年ぶり3度目の盗塁王。優勝した阪神と7ゲーム差の2位に終わる。
古葉がこの年限りで監督を勇退。同年、松田元がオーナー代行に就任している。
1986年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
日本シリーズ |
監督 |
1 |
130 |
73 |
46 |
11 |
0.613 |
-0.0 |
3勝4敗1分 |
阿南 準郎 |
阿南準郎が監督となる。阿南は「山本浩二監督」実現までの繋ぎと言われたが、就任1年目にリーグ優勝。レギュラーが固定され不動のオーダーと言われた。北別府が投手部門のタイトルを総なめ。長冨浩志が新人王。
日本シリーズでは西武ライオンズと対戦し初戦引き分けの後3連勝、その後4連敗。史上初の第8戦まで縺れ込んだが3勝4敗1引き分けで敗退。
前年とこの年はチームに外国人選手は在籍しておらず、スターティングメンバーも「純国産打線」であった。
またこの年限りで、長年チームの4番を務めてきた山本浩二が引退し、1990年代前半までチームは4番不足に悩まされるようになった。
1987年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
3 |
130 |
65 |
55 |
10 |
0.542 |
11.5 |
阿南 準郎 |
6月13日、衣笠祥雄が、ルー・ゲーリッグの2130連続試合出場の世界記録(当時)を更新。衣笠はこの年の最終戦までに2215まで記録を伸ばし引退した。
4番打者は5月末まではランス、その後小早川、もしくは片岡光宏が務めた。正田耕三が首位打者、ランスが本塁打王を獲得するも3位に終わる。
1988年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
3 |
130 |
65 |
62 |
3 |
0.512 |
15.0 |
阿南 準郎 |
2年連続の3位。正田が2年連続の首位打者。大野が防御率1.70で最優秀防御率と沢村賞。
阿南が監督を退任し同年オフ、山本浩二が監督に就任。
1989年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
日本シリーズ |
監督 |
2 |
130 |
73 |
51 |
6 |
0.589 |
9.0 |
山本 浩二 |
新外国人のロッド・アレン、ウェイド・ロードンが加入。アレンが故障で離脱するもロードン、小早川、西田真二もしくは長内孝でクリーンナップを形成。
津田恒実が最優秀救援投手。優勝した巨人と9ゲーム差の2位に終わる。
1980年代前半