1990年代後半
1995年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
2 |
131 |
74 |
56 |
1 |
0.569 |
8.0 |
三村 敏之 |
この年のドラフト1位山内泰幸とカープアカデミー出身ロビンソン・チェコが大活躍。しかし主軸の前田が序盤戦でアキレス腱断裂の大怪我。
抑えの大野も不調でシーズン途中先発に周り、開幕投手を務めた佐々岡が抑えに回る等落ち着かない状況だった。チェコが15勝。山内が14勝で新人王、野村が3割30本30盗塁(最多安打のタイトルも取った)のトリプルスリーを達成。
江藤が二年ぶりの本塁打王・初の打点王、緒方が規定打席不足ながら初の盗塁王獲得し投打に目立った活躍をしながらケガ人や不調者が相次ぎ勝負どころで勝てず、首位ヤクルトの独走を許し6.0ゲーム差の2位に終わる。
1996年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
3 |
130 |
71 |
59 |
0 |
0.546 |
6.0 |
三村 敏之 |
チーム打率.281の打線とダイエーから移籍した加藤伸一、5年目の山崎健が大活躍し前半戦を首位で折り返すも、後半戦江藤が負傷離脱。
エース紀藤が後半6連続先発失敗。前年同様勝負どころで怪我人・不調者が出てしまい最大11.5ゲーム差をつけていた巨人に逆転され、最終的には中日にも抜かれ3位で終える。
江藤が最高出塁率。緒方が2年連続の盗塁王。ルイス・ロペスが打点王を獲得。
1997年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
3 |
135 |
66 |
69 |
0 |
0.489 |
17.0 |
三村 敏之 |
野手陣では江藤が怪我の影響からか打撃守備に精彩を欠き、正捕手西山も開幕早々怪我でリタイア。緒方が3年連続盗塁王、ロペス2年連続打点王、他のレギュラー陣も数字は残したが3年連続で勝負どころで打てなかった。投手陣は前年合計41勝した山内、紀藤、加藤、山崎が合計で9勝に終わる(山崎は未勝利)。
この年のドラフト1位澤崎俊和ドラフト2位黒田博樹、3年目の横山竜士、8年目の高橋英樹が穴を埋めようと奮闘。澤崎が新人王を獲得、横山がリリーフで10勝、黒田6勝、高橋英樹が苦しい8月に4勝を上げるが穴は埋めきれなかった。
大野豊が42歳で史上最年長の最優秀防御率のタイトルを獲得。順位は3位ながら貯金は作れなかった。
1998年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
5 |
135 |
60 |
75 |
0 |
0.444 |
19.0 |
三村 敏之 |
新外国人のネイサン・ミンチー、この年のドラフト4位の小林幹英が活躍。前田も首位打者まで後少しの大接戦を繰り広げるが、ここまで支えていた投打の主力選手が軒並み不調・怪我に合い、5位に終わる。
シーズン後に三村が監督を退任、後任は達川晃豊が就任。この年限りで大野豊や正田耕三が引退。
1999年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
3 |
130 |
66 |
64 |
0 |
0.508 |
4.0 |
三村 敏之 |
伝統の猛練習でチームの底上げを図るも慢性的な戦力不足の結果、5位に終わる。
この年のオフに江藤智はFAで巨人に移籍した。
1990年代前半