1970年代
1970年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
4 |
130 |
62 |
60 |
8 |
0.508 |
15.0 |
根本 陸夫 |
この年の10月より衣笠祥雄の連続試合出場が始まる。
シーズンは貯金を作ったのだが、上位が軒並み勝率が高かったため、再びBクラスに低迷してしまう。
また、11月15日に松田恒次オーナーが死去、後任オーナーには、オーナー代行の松田耕平が就任。
1971年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
4 |
130 |
63 |
61 |
6 |
0.508 |
8.0 |
根本 陸夫 |
1972年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
6 |
130 |
49 |
75 |
6 |
0.395 |
24.0 |
根本 陸夫(森永 勝也) |
開幕から不振が続いて根本監督はシーズン途中で監督を休養、森永勝也打撃コーチが代行を務める。
この年は、最下位に終わる。
1973年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
6 |
130 |
60 |
67 |
3 |
0.472 |
6.5 |
別当 薫 |
別当薫が監督に就任する。開幕から6月頃までは大洋とともに首位争いの主導権を握り、前半戦こそ2位で折り返したが後半戦は急失速し最下位。
しかし、結果的にリーグ優勝しV9を達成した巨人と最下位の広島までのゲーム差が6という大混戦だった。
また、ユニフォームがニット式のベルトレスに変更され、胸文字・胸番号・背番号に赤の縁取り、袖・腰・ストッキングに赤色のラインが入る。この「赤」は、後にチームカラーとなる。
1974年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
6 |
130 |
54 |
72 |
4 |
0.429 |
19.5 |
森永 勝也 |
チームは最下位に終わるも金城基泰が最多勝・最多奪三振を獲得。
しかし、10月12日に交通事故に遭い、あわや失明の重傷を負う。同年オフ、監督・森永勝也の退団および打撃コーチ・ジョー・ルーツの次期監督就任を発表。
1970年代後半