2000年代
2000年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
5 |
136 |
65 |
70 |
1 |
0.481 |
13.0 |
達川 晃豊 |
この年も、前年同様伝統の猛練習でチームの底上げを図るも戦力不足は解消されず、5位に終わる。
また、引退直後から就任していた大野豊投手コーチと正田耕三守備走塁コーチ、6年ぶりに復帰した大下剛史ヘッドコーチは1年限りで辞任した。
2001年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
4 |
140 |
68 |
65 |
7 |
0.511 |
--- |
山本 浩二 |
山本浩二が8年ぶりに監督として復帰。
しかし、チーム成績は2001年は勝率3位ながら勝利数で横浜を下回り4位
2002年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
5 |
140 |
64 |
72 |
4 |
0.471 |
21.0 |
山本 浩二 |
2002年、2代目オーナー松田耕平が死去し、3代目オーナーにオーナー代行の松田元が就任する。
またこの年、広島残留の意思がありながらもFA権を行使したのが4番を務めていた金本知憲だ。球団に対し「成績が悪かったから年俸は1000万円減で構わない。でも、FAの再契約金を1000万円でいいから出してほしい」と球団に譲歩したが、球団はあくまでも「FA権を行使しての残留は認めない」の1点張り。
その結果、みすみす阪神へと主砲を渡してしまったのだ。
ファームでは、社会人野球の公認大会であるJABA広島大会(毎年5月)にエントリーするようになった。
2003年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
5 |
140 |
67 |
71 |
2 |
0.486 |
20.0 |
山本 浩二 |
この年も、前年同様4位に終わる。
ファームでは前年から出場を始めた社会人野球大会で優勝を飾った。
これは全国の社会人野球の大会でプロチームの初めての優勝だった。
2004年
順位 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
引分 |
勝率 |
ゲーム差 |
監督 |
5 |
138 |
60 |
77 |
1 |
0.438 |
20.0 |
山本 浩二 |
赤ゴジラこと、嶋重宣が首位打者・最多安打・ベストナインを獲得。
2000年代後半